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見た映画とか円盤とか、読んだ本とか、聞いた音楽とか。備忘録代わり。

Feb 27, 2016

 

アンチクライスト [DVD]

アンチクライスト [DVD]

 

フランシスコ・デ・ゴヤの連作版画の一つ、「理性の眠りは怪物を生む」を初めて見たのはウィキペディアで「防衛機能」の項目を開いた時だったなと、見終えた後でふと思いだした。

ニンフォマニアック」が想定外の面白さだったので、言うほど変態監督でもないんだなと緩みきった頭で観たラース・フォン・トリアー監督作2本目。冒頭の、生理的な嫌悪を呼び起こす金属的な音を伴って現れ出る、子供が落書いたような、それでいて子供のらしさのない不穏な配色のチョーク塗りのタイトルからして嫌感が凄まじく、プロローグで一旦は持ち直したものの、夫による妻へのセラピーが始まる辺りで耐え切れず部屋の電気を点けた。(部屋で見る時も劇場と同じように暗くするのがデフォ)
"抑圧"から解き放たれ、身体的にも精神的にも裸になってゆく"彼女"と、引き摺られるようにして本質をさらけ出し始める"彼"。"エデン"と"悪魔の教会"。たぶん誰でも初見はグロッキーになっちゃうし、過激な表現に目が眩んで見えづらいけど、幾重にも暗喩が織り込まれていて、観るたび、思い返すたびに新しい発見があるスルメ作だし、個人的には良作だと思う。 或いは怪作か。

 

先週から数えて4本目となる夫婦崩壊もの。
最もこの映画に限っては「男女」ではなく「家族」が焦点となっていて、離婚は物語を回すきっかけでしかないわけだけど、「俺たちはまだやり直せるんじゃないか」と涙ながらに叫ぶ夫を爆笑で一蹴する妻というラストの流れは、少し前に見た「ラブストーリーズ」にやはり重なる。決定的な溝を前にしても楽観できる男と、感情で捉えてしまう女。差異は埋めようもないはずなのに、誰もがこの問題を前に振り回されてしまう。
まともな恋愛経験もない喪女が立て続けにこんなのを見て、自らハードルを上げてるだけなんじゃ…という不安が掠めたりもしたけど、お付き合いや結婚をしてその正体が分かってしまったら最後、今みたいな見方は出来なくなっちゃうわけで。後々見返した時に今現在の感覚と比べる楽しみを思えば、むしろ果敢に挑むべきなのかもしれない。(一生を喪女で終えてしまうかもしれないという可能性はこの際考えない)

冒頭の5分にして主軸となる家族のパワーバランスと各キャラクターをこの上なく明快に説明してみせる、テニスのシーン。相手を弱みをついて得意げになる父親と、子供の目も関係なく嫌悪剥き出しで噛みつく母親。夫婦仲は冷めきって、長男は父親、次男は母親に懐いている。
当然ながら間もなく夫婦は離婚。交互親権の形を取って、兄弟は日替わりで2つの家を行き来することになる。母親が離婚前から複数の男たちと浮気していたことを知った長男はますます父親に似て性格をこじらせ、次男はと言うと、5駅向こうの父の家から歩いて会いに行った母親に「お父さんの日でしょ」と跳ね付けられたり、母親の新しい恋人がテニスのコーチだと判明したりと傷を広げられ、奇行に走り出す。

2~4歳のころ、夜中に両親が風呂場で言い争うシルエットを擦りガラス越しに見たことはぼんやりと記憶しているが、小学校入学前には落ち着いて、今では見ていて恥ずかしくなるぐらい仲良くやっているから、この兄弟2人が受けた衝撃が如何ばかりかというのは想像もつかない。諌める立場にあるはずの父親は終始「ファック」と喚き散らしていて、大学の教え子とよろしくやろうとしたり、母親は思春期の息子を前に性的な話題をあけっぴろげに話したり、やがて息子たちのストレスは目に見える形で現れるんだけど、それすら両親にとってはお互いを責める材料にしかならない。
ブラックコメディの風采を取りながら、容赦なく炙り出される人の痛い部分。見ていてつらい部分も多いけど、それだからこそ、疑い無く父親を盲信していた長男が、最後に自らの足で辿りつく光景の鮮やかさが目に焼きつく。

ところで今知ったけどノア・バームバック監督って「フランシス・ハ」、「マイ・ファニー・レディ」の人なのね。さもありなん。